8月15日
政治の常套句にある「先延ばし」これは イコール「やらない」と同義語だが、我が家の「先延ばし」は違う。
本当に実行する。
先週から先延ばしになっていた美術館めぐりを本日敢行した。
まずは、息子夫婦からペアチケットを貰っていた
「ゴーギャン展」
お盆最後の日とあってか、結構な賑わいだった。
なぜだか、南国の楽園を描いているタヒチの絵を見てもそれほど感動しなかった。
まあそれだけ 芸術的感性が私には備わっていないということか。
あるいは、奄美に生まれた私にとって タヒチの楽園ぶりと奄美のそれとの違いが理解できないせいなのかも知れない。
テレビでみたタヒチの映像は 確かに奄美より格段に美しく私の目には映ったが、贔屓目でみているので奄美も負けてはいない。
いつもは印刷されてものよりも本物のほうに感動を覚えるのだが、ゴーギャンに関しては小学校だか中学校の美術の本に載っていたものを見たときの方がはるかに感動したのを覚えている。なぜだろう?
美術館に行くと必ずやることがある。
それは 「お前に好きな物を一点だけやる」と言われたらどれを貰うか、作品を選ぶことだ。
「美味しい水」を迷わず選んだ。
つぎは地下鉄を乗り継いでいざ上野へ
敷地に入るとロダンの彫刻が出迎えてくれた。
勉強不足で恥ずかしい次第だが、ここ国立西洋美術館は建築家ル・コルビュジェの設計によるものだそうだ。
これは、今回ここに誘ってくれたかみさんから教わった。
あーハズカシイ。
近代建築を語る際、鉄筋コンクリート建築の先駆者のこの人を忘れるわけにはいかない。
この建物はほぼ私と同じ歳だ。
そういう風に考えると マドンナや今年亡くなったマイケルジャクソンと同窓生ということになる。ついでにもひとつつけ加えると お笑いの久本雅美もそうだ。
解説をみると 氏は断面図と寸法の入っていない簡単な平面図(平面図というよりほとんどスケッチ)しか日本に送っていない。
しかも、敷地の大きさを無視してしまっている。
平気で、敷地より大きくはみ出したプランを描いている。
こんなこと、大先生だから許されるのであって、それとも日本をナメていた?
私の様なへっぽこ建築士がこんなことをやった日にゃ、「バカじゃないの」とか、世間さまに無能な「建築士」として、10畳もあるような特大のレッテルを貼られるのは必至。
悲しいというか偉いというか、これを許す日本も日本だ。
この設計図と呼べないような代物を解読して、実際に建てることの出来る図面に仕上げた
日本のお弟子さん(もちろんこの方はどえらい建築家です)こそ私は偉いと思う。
そして、ポンプ車もコンクリートミキサー車もはたまた コンクリートプラントさえもなかった当時に、ネコ(手押しの一輪車)だけで作り上げた職人さんがすばらしい。
ホールやピロティにあるコンクリート打ち放しの丸柱を見れば一目瞭然 その当時の職人さんの心意気を垣間見ることができる。
表面が 家のかみさんのケツよりもすべすべしている。
豆板(じゃんかと呼ぶ コンクリートの打ち込みの状態が悪くてあばたの状態を指す 建築用語です)がまったくない。こんな施工状態のいい打ち放しの柱は そう滅多にお目にかかれるものではない。本当にすばらしい。
今回の展示物を見ていると この建物はいろんな工夫が当時はされていたようだ。
たとえば、自然光を採り入れる工夫として、レンズの絞りのようなシャッターが付いたトップライトがあったり、暗くなる部屋を明るくするための仕掛けが随所にちりばめられていたようだが、現在はほとんど使用されていなくて天井にふさがれてしまっていた。
そして、建築のコーナーを抜けると常設展示場へとつながっていた。
本当に広くて 作品の数が多い ピカソやらブリューゲルやら美術の本に出てきた作家の本物がこれでもか と 展示されている。
ゆっくり見るには丸一日は必要だろう。
すっかり絵画の世界を堪能した二人は お茶するためにレストランに入った。
外の暑さがうそのように空調の利いた部屋から望む硝子の内側から見る中庭の景色は涼しげだった。
二人でお茶を飲みながら本日の講評をしあった。驚いたことに
もって帰りたい作品が二人とも一致した。こんなことは滅多にあるもんじゃない。
それはミロの描いた絵だった。
写実的な絵画で埋もれた広い館内を歩いていて 最後の方のブースにある抽象画が
心をほっとさせてくれた。
コルビュジェの本は高いのでブックオフで買うことに決めて、そのミロのポストカードを買って帰った。
磯者
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