「シンジラレナーイ !」
今日から11月だというのに この気温。
私はまだ半そでで通している。
上京したての頃 8月もお盆を過ぎたあたりから一気に涼しくなったのを記憶しているだけに、この気温は異常だ。
確実に関東は「奄美化」してきている。
さてと、閉会式を終えて、東京体育館を後にした私たちは、「赤坂プリンスホテル」で行われるパーティーにも招待されていた。
しかし、パーティまでには時間が早い。
会場の近くまで行きそこでお茶でも飲んで、時間を潰そうということになった。
地下鉄を乗り継ぎ「赤プリ」に一番近い出口から地上に出た。
外はシトシトと雨が降っている。
「赤坂見附」の交差点付近にある「赤プリ」の位置を確認して、向かう。
建物までのアプローチは御影石だと思うのだが、ずーと敷き詰められて両脇を歩道に沿うような形で樹木が植えられている。
意図があってのことかどうか定かでは無いが、妙に片側に勾配がついていて変な違和感を覚える。
車寄せの脇を抜け建物に入る。
壁も床も、大理石で覆われている。「ビヤンコカララ」と呼ばれているイタリア産の石だと思う。
この建物は建築家「黒川記章」の設計でと、さも知ったかぶりで田場氏に説明した。
「へーそうなんですか。」と田場氏
ここで田場氏に謝らなければならない。
「田場さん ごめんなさい あれ 間違いでした。赤プリの設計者は 「丹下健三」 でした。すみません。」 さも知ったかぶりをして申し訳ない。
さあ、さらっと謝ったところで、「茶でもシバクか」と 喫茶店のメニューを見る。
「ふむふむ、コーヒーが1400円・・・・。 」 たらっと冷や汗が頬を伝わった。
「コーヒー1杯1400円 !? やめやめ。場所替えよう。」
田場氏も同意見だ。 二人とも、庶民派の建築士なのである。
別名、貧乏建築士とも言う。
こんなところのコーヒーを飲んでる建築士が、設計する建物はきっと便器も純金で作っているんだ。トイレットペーパーも一万円札が印刷されている紙を使うんだぜ。 絶対にいい建築ができるわけは無い。などと、やっかみ半分に自分を納得させる。
こちとら、インスタントコーヒーかそうでないか「違いが解る」建築士でぃっ!!。
タララー ラーラー ラー ラララー♪ (By ネスカフェ)
いっていることが自分でもわけ解らなくなってきた。
赤坂見附の交差点を国会議事堂方向に渡り、ドトールを捜す。 見当たらない。
「安い喫茶店 喫茶店と・・・」探しまわる。
有った。 「サブウェイ」。 ここのサンドイッチは美味いんだよなあ。
銀座の現場に行っているときは、よく世話になったのを思い出す。
さすがに二人は建築士、建築談義に花を咲かせる。 ほらそこにチューリップが、ここには百合が。いつの間にか 店内は、我々の咲かせた花で埋もれてしまった。
前回、田場盛彦氏が空手をやっていた事をお話したが、実は恥ずかしながら私もある時期、空手の修行をしていたことがある。
自転車で4~5キロ程離れた道場に毎日通っていた。
この道場はバス会社の2階にあり、練習している人は殆どが大人だった。
子供は数えるぐらいしかいない。
流派は「極真」ではなく「剛柔流」と呼ばれるものだった。体の小さい私は、友達から、からかわれたり、よくちょっかいを出されていた。いわゆる一種の「いじめ」。
平和主義の私は、自分から相手に喧嘩を仕掛けることはなかったが、よく他校の生徒に殴られたりしていた。 ここで一念発起。 強くなりたいと道場の門を叩いた。
練習は思ったより厳しく とてもハードなものだった。
毎日、くたくたになって、家に帰りつくのは夜の10時頃だった。
「ただいまぁ」いつものように家に帰ってくると。
その日は珍しく祖母が遊びに来ていた。
私の顔を見るなり、話があるという。
「磯者。 いまやっている習い事をすぐやめろ。」という。
そんなのいきなり言われたって分けわかんない。
「はい、解りました。」と止めるわけにはいかない。「いやだ」と拒否すると、祖母は私の手をとり、さらに懇願した。
仕舞いには涙ぐむ始末。
理由を話し始めた。
奄美には「ユタ」と呼ばれる人々がいる。
この人々は、いわゆる「シャーマン」だ。 恐山の「いたこ」に近い。
ただ「いたこ」と違うのは「ユタ」は職業ではない。
代々、世襲制でその家の長女がなることが多い。
ある日突然トランス状態に陥り「ユタ」になる人もいるが、修行を積んでなる人もいる。
島の人々は、神がかったこの「ユタ」の事を尊敬をこめて「ユタ神様」とか「ユタ神」と呼んでいる。 そして、この「ユタ神様」は普通に生活の中に存在していた。その当時、私が知る限りでは、中学2年生の女の子が一番若い「ユタ」だった。
私の祖母は事あるごとに「ユタ神様」にお伺いを立てていた。
病院にいった帰りに、「ユタ神様」に寄った時の事。
その部屋に入るや否や、「ユタ神様」が、「貴方の長女の子供は夜に習い事をしていますね。すぐに止めさせなさい。」と、いわれたそうだ。
祖母は私が習い事をしていることを当然知らない。
「小浜の浜に人だかりが見えます。その人だかりは少年の死体を覗き込んでいます。その少年が貴方の孫です。」
当然祖母はなぜ浜に打ち上げられているのかを聞いた。
すると、「ユタ神様」は、私が習い事を終えて家に帰る途中、タクシーに後ろから轢かれて、目撃者がいない事をいいことに、その運転手はトランクに私を詰めて遠く離れた海岸まで運び、その海に棄てたんだそうだ。そして私は小浜の浜に打ち上げられて、死体になって発見されるという。
それを聞いた祖母は居ても立っても居られなくなり、私が帰ってくるのを待ち構えていたというわけだ。
年老いた祖母が私の手を取り、涙ながらに訴える。 私は泣く泣く承諾した。
つらく悲しい思い出だった。
時計は7時を回っている。 パーティが始まっている。 「急ごう。」 二人はさっき来た道を逆にたどった。雨はもうあがっていた。
受付を済ませ会場に入るとすでにパーティーは始まっていた。
会場を見回すとテレビで見たことがある顔や、その筋の人かと見まごう人々が多数列席している。
立食形式でテーブルにはありとあらゆる料理が並んでいる。ホテルのシェフがどんどん料理を作るが、作るそばからなくなっていく。
田場氏は早速腹ごしらえを始めた。
最初は遠慮がちにステージから遠くのテーブルに居たのだが、ここに居たのでは「緑健児」会長に近づくことは出来ない。
会長の居るテーブルにそれとなく陣取った。
会長と挨拶を交わし、田場氏を紹介した。田場氏が会長のファンだと言う事を告げる。
なぜ会長に近づいたかというと、田場氏から色紙にサインを貰いたいとお願いされていたからだ。 招待客が次々と会長に挨拶をするので、なかなか言い出すタイミングが難しい。
ステージでは、今日行われた大会の選手たちの挨拶が始まった。
試合のときの険しい顔とは違い、すごく晴れやかな温和な表情をしている。
優勝者の 塚本徳臣 選手
準優勝の 塚越孝行 選手
3位 鈴木国博 選手
左 優勝 佐藤弥沙希 選手
真ん中 ただの酔っ払い 田場盛彦氏
右 惜しくも4位 砂川久美子 選手
砂川選手の名前を聞くなり、この選手は沖縄の人だと田場氏がいう。選手に尋ねると確かにその通りだった。 彼女と是非写真を撮りたいとお願いして撮らせてもらった。
最初はいぶかっていたのだが田場氏が名刺を出すと「ああー 田場さんね」と沖縄のイントネーションで納得した様子。後はにこやかに、この写真。
この人は格闘技ファンならご存知の小比類巻 選手
写真を撮り終えて、テーブルに戻ってくると、会長から「先ほど頼まれたやつやりますよ。」といっていただく。
田場さんに色紙を出すように促す。写真も一緒に快く撮らせていただいた。
田場氏、ただでさえ酒で上気した顔が更に真っ赤になった。
ここで、ステージに選手が上がりだした。
「新極真会」名物の10本締めをするという。
「せいやっ !」「せいやっ !」「せいやっ !」・・・・・
掛け声に合わせ会場が一体になり正拳突き。面白い。
普通建築業界の締めは「一本締め」と相場は決まっている。これを初めてみたときも驚いたがこの10本締めにも驚かされた。
こうしてパーティーは締めにふさわしく会場を一体感につつんで終わった。
「緑健児」さんありがとう。
よっぽど田場氏はうれしかったらしく 電車賃及びお茶代 果ては、帰りに飲んだ居酒屋の酒代まで田場氏がおごってくれた。
田場盛彦氏 ありがとう御馳走様。
こうして奄美が生んだヒーロー「緑健児」氏に感謝しつつ 帰路に着いた。
磯者
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