スポーツ

2009年3月24日 (火曜日)

やっぱりイチローはすごいや

まずは 日本 世界一おめでとう。

アジアの2カ国で優勝を争うなんてすごい。 次回のWBCはアメリカでの開催はやめて日本で行うべきだね。

5回の攻撃だったか イチローのセフティバントは素晴らしかった。

そして、延長戦のタイムリーはさすが「世界のイチローここに在り」って活躍だった。

日本には勝てなかったが、韓国の健闘振りにも惜しみない拍手を送ろうではないか。

なんて ことがいえるのも日本が優勝したからだね。

磯者

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2009年3月19日 (木曜日)

今日はどうだ?

テレビ観戦で 日本を応援している。

4回表で日本の攻撃が終了した時点で2点先取している。

このまま観ていていいのだろうか?

私が応援すると負けてしまうジンクスを破ってくれ日本!

磯者

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2009年3月18日 (水曜日)

すみません

今日の韓国対日本戦 観てしまいました。

だから、負けました。

ごめんなさい。

前回の韓国戦も観ていました。そのときも負けてしまいました。

圧勝した時の試合は観ていませんでした。だから勝ちました。

磯者

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2006年11月 1日 (水曜日)

新極真会②

「シンジラレナーイ !」 

今日から11月だというのに この気温。

私はまだ半そでで通している。

上京したての頃 8月もお盆を過ぎたあたりから一気に涼しくなったのを記憶しているだけに、この気温は異常だ。

確実に関東は「奄美化」してきている。

さてと、閉会式を終えて、東京体育館を後にした私たちは、「赤坂プリンスホテル」で行われるパーティーにも招待されていた。

しかし、パーティまでには時間が早い。

会場の近くまで行きそこでお茶でも飲んで、時間を潰そうということになった。

地下鉄を乗り継ぎ「赤プリ」に一番近い出口から地上に出た。

外はシトシトと雨が降っている。

「赤坂見附」の交差点付近にある「赤プリ」の位置を確認して、向かう。

建物までのアプローチは御影石だと思うのだが、ずーと敷き詰められて両脇を歩道に沿うような形で樹木が植えられている。

意図があってのことかどうか定かでは無いが、妙に片側に勾配がついていて変な違和感を覚える。

車寄せの脇を抜け建物に入る。

壁も床も、大理石で覆われている。「ビヤンコカララ」と呼ばれているイタリア産の石だと思う。

この建物は建築家「黒川記章」の設計でと、さも知ったかぶりで田場氏に説明した。

「へーそうなんですか。」と田場氏

ここで田場氏に謝らなければならない。 

「田場さん ごめんなさい あれ 間違いでした。赤プリの設計者は 「丹下健三」 でした。すみません。」 さも知ったかぶりをして申し訳ない。

さあ、さらっと謝ったところで、「茶でもシバクか」と 喫茶店のメニューを見る。

「ふむふむ、コーヒーが1400円・・・・。 」 たらっと冷や汗が頬を伝わった。

「コーヒー1杯1400円 !? やめやめ。場所替えよう。」

田場氏も同意見だ。 二人とも、庶民派の建築士なのである。

別名、貧乏建築士とも言う。

こんなところのコーヒーを飲んでる建築士が、設計する建物はきっと便器も純金で作っているんだ。トイレットペーパーも一万円札が印刷されている紙を使うんだぜ。 絶対にいい建築ができるわけは無い。などと、やっかみ半分に自分を納得させる。

こちとら、インスタントコーヒーかそうでないか「違いが解る」建築士でぃっ!!。

タララー ラーラー ラー ラララー♪ (By ネスカフェ)

いっていることが自分でもわけ解らなくなってきた。

赤坂見附の交差点を国会議事堂方向に渡り、ドトールを捜す。 見当たらない。

「安い喫茶店 喫茶店と・・・」探しまわる。

有った。  「サブウェイ」。  ここのサンドイッチは美味いんだよなあ。

銀座の現場に行っているときは、よく世話になったのを思い出す。

さすがに二人は建築士、建築談義に花を咲かせる。 ほらそこにチューリップが、ここには百合が。いつの間にか 店内は、我々の咲かせた花で埋もれてしまった。

前回、田場盛彦氏が空手をやっていた事をお話したが、実は恥ずかしながら私もある時期、空手の修行をしていたことがある。

自転車で4~5キロ程離れた道場に毎日通っていた。

この道場はバス会社の2階にあり、練習している人は殆どが大人だった。

子供は数えるぐらいしかいない。

流派は「極真」ではなく「剛柔流」と呼ばれるものだった。体の小さい私は、友達から、からかわれたり、よくちょっかいを出されていた。いわゆる一種の「いじめ」。

平和主義の私は、自分から相手に喧嘩を仕掛けることはなかったが、よく他校の生徒に殴られたりしていた。 ここで一念発起。 強くなりたいと道場の門を叩いた。

練習は思ったより厳しく とてもハードなものだった。

毎日、くたくたになって、家に帰りつくのは夜の10時頃だった。

「ただいまぁ」いつものように家に帰ってくると。

その日は珍しく祖母が遊びに来ていた。

私の顔を見るなり、話があるという。

「磯者。 いまやっている習い事をすぐやめろ。」という。

そんなのいきなり言われたって分けわかんない。

「はい、解りました。」と止めるわけにはいかない。「いやだ」と拒否すると、祖母は私の手をとり、さらに懇願した。 

仕舞いには涙ぐむ始末。

理由を話し始めた。

奄美には「ユタ」と呼ばれる人々がいる。

この人々は、いわゆる「シャーマン」だ。 恐山の「いたこ」に近い。

ただ「いたこ」と違うのは「ユタ」は職業ではない。 

代々、世襲制でその家の長女がなることが多い。

ある日突然トランス状態に陥り「ユタ」になる人もいるが、修行を積んでなる人もいる。

島の人々は、神がかったこの「ユタ」の事を尊敬をこめて「ユタ神様」とか「ユタ神」と呼んでいる。 そして、この「ユタ神様」は普通に生活の中に存在していた。その当時、私が知る限りでは、中学2年生の女の子が一番若い「ユタ」だった。

私の祖母は事あるごとに「ユタ神様」にお伺いを立てていた。

病院にいった帰りに、「ユタ神様」に寄った時の事。

その部屋に入るや否や、「ユタ神様」が、「貴方の長女の子供は夜に習い事をしていますね。すぐに止めさせなさい。」と、いわれたそうだ。

祖母は私が習い事をしていることを当然知らない。

「小浜の浜に人だかりが見えます。その人だかりは少年の死体を覗き込んでいます。その少年が貴方の孫です。」

当然祖母はなぜ浜に打ち上げられているのかを聞いた。

すると、「ユタ神様」は、私が習い事を終えて家に帰る途中、タクシーに後ろから轢かれて、目撃者がいない事をいいことに、その運転手はトランクに私を詰めて遠く離れた海岸まで運び、その海に棄てたんだそうだ。そして私は小浜の浜に打ち上げられて、死体になって発見されるという。

それを聞いた祖母は居ても立っても居られなくなり、私が帰ってくるのを待ち構えていたというわけだ。

年老いた祖母が私の手を取り、涙ながらに訴える。 私は泣く泣く承諾した。

つらく悲しい思い出だった。

時計は7時を回っている。 パーティが始まっている。 「急ごう。」 二人はさっき来た道を逆にたどった。雨はもうあがっていた。

受付を済ませ会場に入るとすでにパーティーは始まっていた。

会場を見回すとテレビで見たことがある顔や、その筋の人かと見まごう人々が多数列席している。

立食形式でテーブルにはありとあらゆる料理が並んでいる。ホテルのシェフがどんどん料理を作るが、作るそばからなくなっていく。

田場氏は早速腹ごしらえを始めた。

最初は遠慮がちにステージから遠くのテーブルに居たのだが、ここに居たのでは「緑健児」会長に近づくことは出来ない。

会長の居るテーブルにそれとなく陣取った。

会長と挨拶を交わし、田場氏を紹介した。田場氏が会長のファンだと言う事を告げる。 

なぜ会長に近づいたかというと、田場氏から色紙にサインを貰いたいとお願いされていたからだ。 招待客が次々と会長に挨拶をするので、なかなか言い出すタイミングが難しい。 

ステージでは、今日行われた大会の選手たちの挨拶が始まった。

試合のときの険しい顔とは違い、すごく晴れやかな温和な表情をしている。000_0901

優勝者の 塚本徳臣 選手

000_0900 準優勝の 塚越孝行 選手

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3位  鈴木国博 選手

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000_0906 左 優勝  佐藤弥沙希 選手

真ん中 ただの酔っ払い 田場盛彦氏

右 惜しくも4位  砂川久美子 選手

砂川選手の名前を聞くなり、この選手は沖縄の人だと田場氏がいう。選手に尋ねると確かにその通りだった。 彼女と是非写真を撮りたいとお願いして撮らせてもらった。

最初はいぶかっていたのだが田場氏が名刺を出すと「ああー 田場さんね」と沖縄のイントネーションで納得した様子。後はにこやかに、この写真。

000_0905_1 この人は格闘技ファンならご存知の小比類巻 選手

写真を撮り終えて、テーブルに戻ってくると、会長から「先ほど頼まれたやつやりますよ。」といっていただく。

田場さんに色紙を出すように促す。写真も一緒に快く撮らせていただいた。000_0898_1

田場氏、ただでさえ酒で上気した顔が更に真っ赤になった。

ここで、ステージに選手が上がりだした。

「新極真会」名物の10本締めをするという。

「せいやっ !」「せいやっ !」「せいやっ !」・・・・・

掛け声に合わせ会場が一体になり正拳突き。面白い。

普通建築業界の締めは「一本締め」と相場は決まっている。これを初めてみたときも驚いたがこの10本締めにも驚かされた。

こうしてパーティーは締めにふさわしく会場を一体感につつんで終わった。

「緑健児」さんありがとう。

よっぽど田場氏はうれしかったらしく 電車賃及びお茶代 果ては、帰りに飲んだ居酒屋の酒代まで田場氏がおごってくれた。

田場盛彦氏 ありがとう御馳走様。

こうして奄美が生んだヒーロー「緑健児」氏に感謝しつつ 帰路に着いた。

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磯者

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2006年10月30日 (月曜日)

新極真会①

10月22日の日曜日、ある団体から招待されていた空手大会を見に、東京体育館へ行った。

その団体とは 我が奄美の誇る武道家 「緑健児」会長 率いる 「新極真会」である。

http://www.shinkyokushinkai.co.jp/modules/news/article.php?storyid=37

招待状は2名まで参加できるとのことなので、予てから参加したいと申し出の有った、田場盛彦氏と観戦する事にした。

田場盛彦氏のホームページ http://www.tabadesign.co.jp/

田場盛彦氏は建築士仲間で沖縄出身ということもあり、仕事を通じて知り合ったのだが、奥さん共々親交させていただいている。

彼は大学時代に空手部に籍を置いていて、師範の先生が「緑健児」は 凄いと言っていたらしく、田場盛彦氏が尊敬する人物だと言うことをかねてより聞いていた。

田場盛彦氏と市谷の駅で待ち合わせる。

10時の約束だったが少し遅れる事を携帯で告げておいた。

市谷の駅に到着して改札を出ると、すでに田場氏は私を見つけ「磯者さーん」と大声を出したので、すぐに気付いた。

道路を渡り会場の「東京体育館」に急ぐ。

「磯者さん 受付とかは 顔パスなんですか?」

「いやー、顔パスとまでは行かないけど結構近い物はあるね。」と私。

受付は 一般と 招待客に分かれていて、案内状を見せると、招待客の印である赤いリボンを手渡され胸につける。

首に紺と白色の柄のあるスカーフを巻いたスチュワーデスのような格好をしたお姉ちゃんが席まで案内してくれた。(現在は"スチュワーデス"は性差別につながるということなのでこの部分は"客室乗務員"と読み替えてください。)

本部席の真裏の2階の指定席に通された。 ここはテレビカメラが陣取っている程の絶好なポジションだ。

国旗掲揚の後会長の挨拶があり、いよいよ試合開始だ。

出場している選手を見ると去年出場していた選手が多い。

やはり強い選手というものは毎年出て来るものなんだと感心する。

反則について、選手が実際に組み手を交えながら説明があった。

基本的に手や腕による顔面への攻撃は禁止、蹴り等の足による攻撃はOK。

いよいよ、試合開始。

試合は4人の審判が各コーナーに座り、赤と白の旗を持っていて、中央に主審が試合を取り仕切る。

5人のうち3人以上が勝ちと判断した選手が勝利者となる。

たとえば引き分けが3人いて赤の旗を揚げている審判が二人ならこの試合は引き分けという具合だ。

詳しい試合の様子は「新極真会」のホームページにゆだねるとして、試合は決勝に近づくにつれて白熱を帯びてきた。

後ろ回し蹴りや相手の頭上まで上がる足刀、手の平がじっとりと汗ばむ。

技がきれいに決まると場内から割れんばかりの拍手が起こる。

奄美人も多いせいかハト(指笛)が飛び交う。

見事に膝蹴りがあごにヒットして崩れ落ちる選手。 凄い。

テレビでは伝えることの出来ない生の迫力に私たちは興奮しまくりだった。

ここで決勝に備えて先に食事をすることにした。

田場氏を誘って席を立つ。

さすがに今回で2度目の私は勝手が幾分わかる。

招待客用に設置されているブースに向かう。

途中警備員に止められようとするが、赤いリボンを見つけて、フリーパス。

飲み物は飲み放題で、席に着くと例の客室乗務員が弁当を運んできてくれた。

「磯者さん VIP待遇ですね」と田場氏

日頃こんな優遇される場面に出食わない私だが、当然のように「まあね」と答えた。

「ありがとう 緑健児さん」心の中で感謝する。

ここでなぜ私が招待されたのか話そう。

何年か前の「奄美会」でのこと。(奄美出身者が集まる会)

セレモニーもひと通り終わり、歓談していたとき、ステージに立って司会をしていたのが「緑健児」氏だった。

彼は各テーブルにビールをついで回っていた。私がいるテーブルに来たときに、名刺交換をした。普通なら島出身の先輩後輩という事で互いにビールをついで終わりなのだが。

彼が名刺を見ながら「磯者さんは弟さんはいませんか?」と聞いてきたので、「います。」と答え、弟の名前を告げた。名刺に書かれている屋号と私の苗字が彼のもっている情報と符号したのであろう。

私は弟の事を話すと、「彼とは友人です。 お兄さんだったのですか。」とうれしそうに話してくれた。 

「奄美会」も終わり、かえろうとする私を見知らぬ美しい女性から呼び止められた。

キョトンとしている私に「緑会長からお兄さんを連れてくるようにとのことです。」

彼女に腕をつかまれ会場を出ると、一台のワゴン車に放り込まれた。

中には「緑健児」氏が待っていて、私の両脇は後から入ってきた女性が座った。

殆ど拉致状態で私は連れ去られた。

目隠しこそされていなかったが着いた先は、とあるカラオケ屋。

部屋に入るとすでに、いかつい人々が何人も会長の到着を待っていた。

会長到着。 「押忍」、「押忍」、「押忍」、「押忍」 一斉に皆立ち上がり「押忍」の挨拶。

乾杯の後、私の事を皆に紹介してもらい打ち解けた雰囲気でカラオケ大会は始まった。

会長歌うはビギンの「島人の宝」 大盛り上がりである。

そこへ、またまたごっつい二人の男が入ってきた。「押忍」

いきなり緑健児氏は彼の頬に正拳突きを見舞う。「押忍」 「ありがとうございます。」

頬に突きを受けた彼は会長に「ありがとうございます。」とお礼を言っている。

変な集まりだ、殴られて「ありがとうございます。」は普通の世界ではありえない。

「修行しているか?」緑健児氏が聞く 「押忍」。彼は直立不動で答える。

これがカリスマというものだろうか。

しかし、ここで酔っ払って上機嫌で踊っている小柄な人が、世界に9万人の門下生をもつ総帥とは信じられない。 ものすごく気さくな人だ。

緑氏はこの時の事を覚えていてくれたようで

それから私の事務所に招待状が届くようになった。

昼食を終え、いよいよ決勝戦。 日本一の選手が決まる。

さすが決勝まで残る選手たち、一進一退の攻防、二回の延長戦の結果どうなるのかと思っていると、二回の延長戦で決まらなかった場合両者の体重差で決定するルールの様で惜しくも体格の大きい方の選手は10kgの体重さで負けた。

ちなみに、10kg以内の体重差の場合はどうなるかというと、試合前に瓦と杉板のためし割を行っていて、その枚数の多い方が勝者となる。

試合は終わり大会会長の「野田聖子」氏のあいさつと「緑健児」氏の挨拶で幕を閉じた。

隣で観戦していた田場氏は「もう一度道場に通おうかと思っている」と打ち明けてくれた。

再び、眠っていた彼の闘争心に火を点けたらしい。

ここで私なりの感想を一つ。

今回の試合の内容が素晴らしかっただけに、進行が悪く、最後の表彰式には観客はほとんど帰り、関係者だけの閉会式となり盛り上がりに欠けたのは非常に残念だった。

願わくば、演出を入れて、もっとショーアップすべきかと感じた。

来年は「世界大会」が執り行われるそうだが、果たして来年も招待状は届くのだろうか?

心配しつつ つづく。

磯者

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